青き薔薇

青き薔薇

朝晩が冷えますね。皆さまご体調など崩されていませんでしょうか。

日本各地、冬の足音が聞こえ出す今日この頃。少し間が空いてしまいましたが、それもこのテーマのため!との理由をこじつけて、さて今回は、今が旬の薔薇について、少し中東寄りの切り口からあれこれ語ってみたいと思います。

私は気づけば薔薇が好きで、特に、地面から生えている香りのあるものをいろいろと見て歩くのが、いつの頃からか季節の楽しみとなっています。初めて訪れた薔薇園は、大阪の国立民族学博物館での催し物を見に行くべく、生まれて初めて一人夜行バスに揺られ訪れた万博公園内のものです。今もあるのでしょうか。(※管理者注釈 現在もあります。)あの時もたしか、秋薔薇の季節でした。

今年も、近くの有名な薔薇園へ早々と足を運んでみましたが、私が訪れたときにはまだ十分に開花しておらず、少しがっかり。街のお花屋さんによれば、夏の暑さの影響で、今年は2週間ほど開花が遅れているのだそうです。

ところで、お花屋さんにはこんな質問もぶつけてみました。

 「薔薇の原産地はどこですか・・・?」

 面倒なお客です。それは承知だったのですが、好奇心が勝ってしまいました。お花屋さんのお答えによれば、「おそらくは中近東あたり、らしい」とのことでした。ニヤリ。ますますタチの悪いお客であったことが露になることを恐れずに言えば、私には、大体の見当はついていました。感づき始めたのは、大学院生の頃だったでしょうか。

(決してお花屋さんを試したのではなく、ただ純粋に確かな答えを知りたかった・・・と、念のため付け加えておきます。笑)

 話を一旦ポルトガルへと移しましょう。

やはり花の女王様、薔薇はポルトガルでも当然愛でられているようで、ファドの歌詞の中にも、薔薇とそれに関連した言葉たちは多々登場します。時には女性に見立てられ、時にはその棘と花の美しさが恋愛の酸い甘いに重ね合わせられ、はたまた時には、ただ生命力溢れる植物として、その情景に添えられる“花”となり・・・ 

また、現地の風景を見てみても、庭園に大切に植えられ、書店では見るも鮮やかなイラストを表紙としたその専門書が並べられ(「欲しい!」と思ったのですが、「これは学術書じゃない。」とのマジメなケチ心が発生し、見送りました。・・・惜しいことをしました。)、やはりポルトガルでも、薔薇という花は日常の中で存分に親しまれているようでした。

 日本ではというと、「ブルガリアンローズ」や「ダマスクローズ」などという言葉を名打った商品が数多く出回っており、また薔薇柄を目にすれば“ヨーロピアン”なイメージが容易に結びつく気がしますので、「薔薇はヨーロッパのもの」という認識が多くの人々の間に浸透しているように感じます。ところが、この薔薇という花、香辛料や紅茶などがそうであったように、元々はアジア世界からヨーロッパへと持ち込まれたものだったのです。

 薔薇の起源は、「自生」という観点では東アジアにそれをたどる説もあるようですが、香料を作るために薔薇が世界で初めて「栽培」されたのはペルシア、すなわち、現在のイランが世界の薔薇文化の発祥の地であるとするのが有力な説のようです。イラン!私が中東世界に興味を持つ最初のきっかけをくれた国です。

そして、先ほど何気なく並べておきました「ダマスクローズ」。この「ダマスク」は、英語で書けば「Damascus」。ダマスカス、これは、中東の国シリアの首都ダマスカスのことです。

 またまた意地の悪いことをしたな、と思われた方(笑)、そうではないのです。「ダマスクローズ」は女性用化粧品などにおいて頻繁に目にし、私もそうした商品を持っているのですが、これらを愛用する日本の若い女性の間ではこの「ダマスク」も“ヨーロピアン”だと誤認されている雰囲気がありますので、本コラムの主旨からは若干逸れるかもしれませんが、是非ここで、薔薇の花の正しいお話を皆々さまと共有できれば・・・と願うものです。

 ダマスクローズは、薔薇の中でも格段に香りが良いものとされ、愛らしいピンク色をし、たいへん古くから人々に愛されてきた薔薇の品種です。古代、貿易中心地として栄えたダマスカスでペルシア産の薔薇が取引されていたことから(あるいは、ダマスカスで扱われる薔薇をペルシア産のものと区別して、との説も。)、後々にこの薔薇が「ダマスクローズ」と呼ばれるようになったそうです。現在ではブルガリアがその一大生産地となっていますが、ダマスカスからこの薔薇がブルガリアへと運ばれてきたのは中世のことでした。

 もちろん、現在のイランでもダマスクローズは大量に栽培されており、ローズウォーターや香油などに加工され、国内外で重宝されています。私は以前、東京都内の某イラン・トルコ料理屋さんでのじゃんけん大会において悲願の勝利を上げ、見事イラン産のローズウォーターを手に入れ小躍りした記憶があります。ローズウォーター(薔薇水)とは、薔薇で贅沢に香りを付けた水のことで、主に中東地域ではお馴染みの品です。中東の女性はこれを化粧水として使ったり、髪につけたり、あるいはお菓子作りに使用したりします。

 そういえば院生時代、同期の女性がシリア滞在のお土産に薔薇のお菓子をふるまってくれたことがありました。これまでに味わったことのない非常にストレートで鮮明な薔薇の味に、衝撃と感銘を受けました。中東産の薔薇製品は、ヨーロッパ製や日本製のものと比べますと、繊細さには欠けますがより生の薔薇を感じられるようなものが多いように思います。何かこう、「作られた」という感じがしない、“ライブ”感があるのです。

 そういうわけで、今私の手元にあるお気に入りの薔薇の花弁入りバスソルトは、イスラエル製です。強烈に中東の香りがする類のものです。もちろんお塩は死海のもの、であることは確かなようですが、果たして薔薇は・・・?意外とイランあたりから仕入れていたりなんかして・・・と、こんな時にこそ“薔薇文化交流”の力を信じ、願いたいものです。

イラン、シリア、イスラエル。いずれの国も、私が生涯のうちに必ず訪れたいと望んでやまない国々です。中東地域全体が抱える政情不安、その中でも、ここ最近のシリアで起きている混乱には、本当に、激しく胸が痛みます。一日も早く、一秒でも早く、シリアの人々に平和が訪れますように。この地球上から、全ての暴力と争いが消えますように。

そう祈りながら、今日も薔薇を思い、薔薇を歌います。

所は変わりますが、最後に、数年前に実家の庭に咲いていた私の大好きな薔薇を皆さまにご紹介したいと思います。

皆さま、“青い薔薇”というのはご存知ですか?人工的に染めたものではありません、きちんと土から咲く花たちです。

 薔薇にはいろいろな色彩のものがありますが、その中に、青い系統のものがあります。「青」と言っても、真っ青なのではなく、ほとんど純白に近いような色から、ライラック色を経て、品種によっては薄赤紫色をしたものまでを「青い」と呼ぶようです。

私の母は植物に詳しく、庭に様々な木々や花々を植え、育てています。その中の「ブルーヘブン」という品種の薔薇が、私の一番のお気に入りです。

ブルーヘブン

 この消え入りそうな、幻のような、儚く、美しい横顔。この花は、虹色の衣をそっと肩にかけると、やがて青白いドレスを光らせて、歌います。その美しい姿がとても特別なもののように思えて、私はこれをドライフラワーにしました。思い出してみると、そうそうたしかそれは、シリア留学へと旅立つ友人へ贈ったような。

 なんだか、ファドが歌いたくなってきました。

アラブ風内装が施されたリスボンのレストラン

ポルトガル語とアラビア語

夏の終わり、皆さまいかがお過ごしでしょうか。最近は近所に生息するうぐいすの声もすっかり聞こえなくなり、少し寂しい思いをしていた私ですが、代わって鈴虫が美しい声色を聞かせてくれる素敵な季節となりました。

 

もうすぐ秋。秋といえば読書!ということで(・・・実は昔からあまり読書は好まないのですが。笑)、学生時代にお世話をいただきました恩師の先生方の記された書物などをパラパラと読み返し、少々知識の充電を図ったところで、今回はファドの世界でもよく目に耳にすることがある、アラビア語と関係したポルトガル語について触れてみたいと思います。

 

ポルトガル語は、ヨーロッパのポルトガルをはじめ、現在ブラジルやアフリカ諸国等で話されている言語であり、他方アラビア語は、主に中東・北アフリカ一帯のアラブ諸国において公用語とされ話されている言語です。現在は話者の分布地域を異にする両言語ですが、ポルトガル語にとってアラビア語は、実は元来密接に関係した親しい言語と言えます。

 

ポルトガル語 português

アラビア語  اللغة العربية

 

ご存知の通り、ポルトガル語はアルファベットで左から右へ、アラビア語はあのくねくねとした芸術的な文字を右から左へ書くという、一見して見た目にもなんとも相違甚だしい両者ではありますが、とりわけ歴史的な脈絡を見たときに、両言語間の関連性・共通性は当然のものと頷けます。まずはその歴史を簡単に振り返るといたしましょう。

 

スペインやポルトガルと言うと、今でこそヨーロッパ的なイメージの強い国々に思えますが、スペインとポルトガルが位置するイベリア半島の今日までの歴史の中で、ざっと500年~800年もの間、この土地はイスラーム王朝が支配する世界でした。イスラーム教徒を中心としつつも、キリスト教徒やユダヤ教徒など、様々な宗教・民族の人々がルールのもとに互いに共存し繁栄する、アラブ・イスラーム文明の花咲く時代がありました。

アラブ風内装が施されたリスボンのレストラン

 

もちろん、長いローマ・ゲルマン時代を経てのイスラーム時代、またその終焉はすなわちレコンキスタ(イスラーム勢力の追放を目指した十字軍による国土回復運動)の“完了”を意味しますから、やはり「ヨーロッパ的」精神というものはイベリア半島の人々にとって古くから肝要であるのだと思います。

 

しかしその一方で、ある種「特異な」イスラーム時代が存在したからこそ残された確かな遺産は、この地域の文化に不思議な魅力と華やかさを添えているように私には思えてなりません。言語をはじめ、建築、工芸、農業などのあらゆる分野へと染み込んでいったアラブ・イスラーム文化。その一部を、言語を中心にいざご紹介いたしましょう。

 

皆さまもよくご存知の「アンダルシア(アルアンダルス)」という地名。これは元々、この時代における現ポルトガル領土を含むイスラーム支配下のイベリア半島地域全体を指す言葉で、「アンダルス」とは“ヴァンダル族の国”を意味するアラビア語だそうです。とある研究によれば、アンダルスの住民のうちのイスラーム教徒の割合は、10世紀半ばには50%、11世紀末には90%に達したと言います。いわゆる土着の「スペイン人」の実に8割がイスラーム教へと改宗したそうですが、当時の世に生きれば、自然な風潮だったのでしょうね。

 

そもそも、現在のスペイン語とポルトガル語には、何百という数のアラビア語の語彙が入っています。ポルトガル語の単語で言えば、álcool(アルコール)、algodão(綿)、algebra(代数学)、almanaque(暦)、alfândega(税関所)、alfaiate(仕立屋)などがそうで、語頭に共通する「al」という文字は、アラビア語の定冠詞(英語で言うthe)に当たります。

 

「al」という語から始まるポルトガル語の単語のうち、全てではないようですがその多くがアラビア語起源ということで、真っ先に思いつくのは「アルファマ(Alfama)」という街区の名です。Casa do fado(ファドが聴けるお店)の有名店が軒を連ねるファドのメッカであり、私もおそらくは何百回と歌の中で連呼をしています、ファドではお馴染みの単語です。

アズレーショを売っているコインブラのお土産屋さん

また、açúcar(砂糖)、arroz(米)、azenha(水車)などに加え、ポルトガルやスペインでは定番の工芸品であるazulejo(アズレージョ)という青い絵タイルを指す単語なども、その言葉とともに実際の品、あるいは伝統ある文化として今に残っています。日本でもポルトガル料理を戴けるレストランなどでその壮麗な装飾を目にすることができますので、そうしたお店にいらっしゃる際には是非、ご覧になってみてください。

 

ところで、「azulejo」の「azul」とは、ポルトガル語で「青い」を意味する形容詞ですが、実は「azul」という言葉自体アラビア語にも共通し、アラビア語では「ازرق(azraqu )」と言います。イタリア語でも「azzurro」などと言うようですから、やはりイベリア半島、それからシチリア島を含む当時の地中海・イスラーム世界は広大かつ深遠に横たわっていたのだろうなとの思いを馳せると、歴史のロマンを感じずにはいられません。

 

Introdução はじめまして

皆さま、はじめまして。

ファディスタの清水理恵と申します。このたび、ホームページの開設に伴い、コラムを連載させていただくこととなりました。ここでは、ポルトガルの知られざる魅力やちょっとしたエピソードなどを、“私風”に綴ってまいりたいと思います。  

ポルトガルの民族歌謡、ファドには、例えば「アルファマ(街の名前)」、「アズレージョ(ポルトガル名産の青いタイルの工芸品)」などといった言葉が歌われ、また、「海」にまつわることをテーマとした曲などが数多く存在しています。

これらはもちろん、まぎれもなく「ポルトガルの」ものであり、ファドを特徴づける「ポルトガル的」一要素ではあるのですが、さらにその深部を探ると、他文化と交わる実にダイナミックで新鮮なポルトガルの歴史的・文化的・社会的側面が見えてきます。

私は、こうしてファディスタとなる以前、ポルトガル語とその文化を勉強する傍ら、とりわけ中東・イスラーム圏に関してたいへんに興味を持ち、微々たる程度のものではありますが、自分なりの視角からそれら双方の世界を見つめてまいりました。

なぜに中東・・・?というお声が聞こえてきそうですが、時の運、関心のまま風まかせに迷走奔走し学んだ結果、実は両者は今も昔も深くつながっていることを知り、私が歌うファドという音楽の中にもその関連性が確かに感じ取れることに興奮を覚えました。

皆さまがファドをお聴きになる際、また、ファドを通じてポルトガルという国にご興味を抱かれた際に、正統なガイドブックに加えて、“ちょっと意外”で“面白い”ポルトガルの顔をご紹介するこのコラムが、ささやかな一興となりますように。

時に私のポルトガル珍道中話なども織り交ぜながら、これから様々なテーマに触れてまいりたいと思います。皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。ぜひ、次回をお楽しみに!